恨まれるより、恨んだほうがよい
母は時々、子育て時代の自分は悪かったと謝罪してくる。
母に反省すべき点はあるとはいえ、女一人で男並みに稼いで子育てしてくれたことに対して感謝の気持ちでいっぱいだ。
母の謝罪に対し、表面的には傾聴し、受け入れている。
でも、心底では謝罪することで、誰も救われないと私は思っている。
謝罪される度に思い出す苦しみと、許したい気持ちと許せない気持ちが渦巻く。
謝罪は新たな関係性の構築のため、贖罪のため、それは当人のためか人のためか分からないから苦手だ。
ところが最近はやっと、謝罪は終わりではなく、はじまりであると感じる。
今では自分も母のように消したい過去、やり直したい過去があるから謝罪を受け入れられる。
子供の頃は“母とどうやって生きていくか”だった。
今の私は“これから、この人とどう付き合っていくか”に変わった。
母との関係性のはじまりをいつからか感じるようになってからは少し気持ちが軽くなった。
祖父は言っていた。
“人から恨まれるより、恨むほうがよい”
それほど人の念は怖いということだ。
恨まれたら何をされるか、どう思われるか分からない怖さがある。
自分が恨んだとしても、どうするかは自分次第で、人生の徳になる場合もある。
もし、恨めしいことがあるならポジティブに考えてほしい。
恨む側でよかった!と。
恨む労力があるなら、そこから別のことを生み出せたらいいね。
その負の感情は考え方次第で正のエネルギーにもなるから。
その経験は誰かを救うかもしれないし、自分自身を救うかもしれない。